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人が集まれば争いが起こり、争いが起これば仲裁が必要です。
今でこそちゃんとした裁判制度が整っていますが、大昔はどうだったのでしょう?原始(弥生時代)以降、農耕社会が形成されるにつれて、さまざまな儀礼が生れましたが、人々はすべての物に神が宿っているとしてその神を信仰していたので、当然ながら人を裁くのもその神でした。そこで、紛争解決手段として用いられたのに盟神探湯(くがたち)というものがありました。
熱湯に手を入れて、手がただれたらその人の主張はうそであるとされる神判です。
古代になると領主などの支配者による裁きが行われましたが、当然その領主らの権利や利益が判断の基準になっていたので、公正な裁きはとうてい望めず、とにかく現在の裁判制度とは程遠いものでした。
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